バレンシアガ

バレンシアガ

クリストバル・バレンシアガは1895年スペイン生まれです。スペイン内乱を経て、スペインからフランスに移住して、活動の本拠をパリに移し本格的なデザイナーの活動を始めました。1919年に同公爵の援助のもと、パリのオートクチュール界に参加しました。カサ・トレス公爵夫人の着るフランス製の服のリメークをなどを行っていました。バレンシアガとは、伝説のブランドです。貴族御用達の仕立て屋として若い頃から才能を発揮しています。

当時のファッションが特定の特権階級のものであったことを考慮すれば不思議ではありません。経歴は、現在のデザイナーとは異なります。「私の服を着るのに完璧も、美しさも必要ない。」と述べています。クリストバル・バレンシアガは自分の作る服に絶対的な自信を持っていました。私の服が着る人を完璧にし、美しくする。クリストバル・バレンシアガはオートクチュールからプレタポルテへパリのファッション業界が移行する時代にあったエポックメーカー的な存在です。

現在のレベルでいえば、プレタポルテといえども、オートクチュールといってよく、パリがファッションの中心地として、黄金期に入り始めた時の中心的なメゾンと言えました。クリストバル・バレンシアガのファッションは、プレタポルテというものの、オートクチュールの香を持つ超高品位な作品ばかりでした。

クリストバル・バレンシアガの助手には、クリスチャン・ディオールがいましたが、クリストバル・バレンシアガの影響を受けたデザイナーは、クリスチャン・ディオールだけではなく、アドルフォ・サルディーニャ、ユベール・ド・ジバンシー、アンドレ・クレージュ、エマニュエル・ウンガロなど次世代を担うことになるデザイナーすべてに及んでいます。

クリストバル・バレンシアガもエドワード・モリヌーの影響を受けていますが、時代がまさにポストモダンの時代でありました。これらはクリストバル・バレンシアガの確かな縫製技術に根ざしたものと言えるでしょう。アールヌーボーからアールデコへの過渡期の時代であったことは、クリストバル・バレンシアガのデザインに多大な影響を与えたと言えるでしょう。クリストバル・バレンシアガのファッションのデザインは、オートクチュールの建築家と呼ばれるほど立体的な裁断とシンプルなフォルムに特徴があります。現在のバレンシアガのファッションにおいて、デザイナーが変わってもメゾンの伝統は変わることなく受け継がれています。

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